2017年8月2日水曜日

2016年に書いた「海旅Camp」についての記事

僕が大阪中津に冨貴工房を立ち上げた大きなきっかけは、2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発事故です。
当時の僕は、原発事故によって振りまかれた放射性物質による身体への影響の大きさを考え、体の免疫力や解毒力を高めていく為の実践を本格的に始める場を作る必要性を感じていました。
こればっかりは「やるべきだ」とか「みんなでやろうよ」と呼びかけてどうこうなるものではないし、みんなが「やろう」と言ってくれるまで待ってもいられないと思いました。
なぜなら、放射性物質はすでに僕の体を蝕んでいると、実感していたからです。
僕はもともと、虚弱体質です。
生まれてすぐに百日咳、風疹、麻疹を患い、物心ついた時には重度の気管支喘息。
中学校を卒業するまで、毎食後に飲む薬を手放した事はなく、毎月のように夜中に病院に運ばれ、毎年入院を繰り返し、今以上に痩身だった僕は「マッチ棒」と呼ばれたりしていました。
僕がしきりに養生養生と言うのは、自分の体の虚弱さを知っているからです。
5年前、放射能汚染事故が起きたあと、風評被害を起こしたくないのでどの場所とは言いませんが、放射能ホットスポットと呼ばれる土地を訪ねた後に体調が崩れるという経験を繰り返し「明らかに自分は被ばくしている」と感じました。
そして、被ばくの影響は、短期的には、ごく一般的な生活をしていたら気づきにくいだろうな、とも思いました。
特に急性の被ばくは、二日酔いのだるさと見分けをつけるのは難しいと思ったし、化学物質や添加物を常食している人にとっては、それの影響と放射能の影響を区別することは難しいだろうな、と思いました。
透明の水に色水を垂らしたら、すぐに気づく。
でも、すでにたくさんの絵の具を入れて濁った水の中に一滴の色水を垂らしても、色の変化には気づかない。
気づかぬうちに、少しずつ身体が蝕まれていく可能性。
生まれたての、濁っていない水を持つ子どもたちから影響が出てくる可能性。
これらを体感しながら何もしないという事は出来ませんでした。
もちろん以上の感覚は、あくまでも僕自身のもの。
放射能と体調の因果関係を実証しろと言われてもできません。
だから、鵜呑みにはしないでください。
そして一方で思うのは、この「実証しろ」「エビデンスを出せ」という脅迫のような言葉によって、世界の被ばく者達は未だに口をつぐまされ、十分な医療保障などの権利を獲得できずにいるという事実。
だから、ことさらに「絶対因果関係がある!」と叫ぶことはしませんが、自分の実感を元に、対策はしていきたいと思っています。
誰も分かってくれなくても「皆が気づいた時に、対策の道がない」という状況になっていくことを、黙ってみている事は出来ないと思うのです。
・・・
放射能と向き合う時に生まれる恐怖心。
過度な恐怖心は、信じられる対象を求めてすがるメンタルとつながってしまう可能性がある。
この恐怖心を煽って信者を増やすような事はしたくない。
だから、放射能対策に関してはことさらに、ネット上で発信することは控え、淡々と、放射能の身体への影響と、それに対する対策を、人体実験のように自分の体を使って実践し始めた流れの中で、工房を立ち上げました。
僕に対して
「養生養生言ってるわりに、目の下にくまがあるのはなぜ?」
という質問をしてくれた人がいます。
その時はその質問を受けて「自分は否定されているんだな」と感じてしまって、うまく受け答えできませんでしたが、心身の養生を心がけていなかったら、今頃こんな風に仕事したり旅したりなんてできていないでしょう。
「喘息もアレルギー体質も一生治らない」
という言葉を呪文のように唱え続けられた幼少時代には信じられなかったような現実を今生きている、という実感があります。
目の下のくまぐらいで済んでいるのは日々の養生のおかげだと思っています。
・・・
僕が4歳のころ、気管支喘息が少しでも楽になるようにと、僕が生まれた千葉県松戸から、今も実家のある茨城県守谷に引っ越してくれました。
当時の守谷はその名のとおり、3つの川に囲まれた谷、田畑や沼や池も多い、自然豊かな田舎。
喘息の発作が起きない時は毎日泥だらけになって日が暮れるまで遊んでいました。
沼や池で溺れたり、山の上から落ちて怪我をしたり、怖い体験もたくさんしました。
自然の面白さと恐ろしさ、そして奥深さを肌に染み込ませた原体験をくれたのは、当時会社を立ち上げたばかりで貧しかったにもかかわらず、仕事上の負担よりも僕の健康の向上を選んでくれた父の決断のおかげでした。
今思えば、疎開保養、転地療法。
守谷から松戸まで、毎日車で2時間ほどの道のりを通勤し続け、夜中に発作が起きれば嫌な顔もせずに病院に運び徹夜で看病してくれた父。
そんな父はそんな苦労について語る事は一度もありませんでした。
たったの一度も。
それはおそらく、僕に罪悪感を与えないための思いやりだったのだと思います。
僕は恥ずかしながら、2011年の原発事故を経るまで、父の決断とその後の献身、愛の大きさに気づかずにいました。
原発事故後に始めたもうひとつの取り組みは、転地療法、疎開保養のためのキャンプの運営です。
2012年に愛知の友人たちと立ち上げた「海旅camp」は今年で5回目を数えることになりました。
このcampを通じて、子どもたちが健やかに過ごせる環境を作る事の意味の大きさを、改めて実感しています。
放射能から子どもを守りたいと願う人達であれば誰でも参加できるキャンプ、福島県内在住などといった参加資格を設ける事のないキャンプとして毎年30人〜40人ほどの親子を受け入れてきました。
回を重ねるごとに、自然の中で過ごすことや健康に配慮した食事を摂る事による健康状態の向上だけでなく、共同生活を通じてこれからの生き方を見つめなおしたり、それぞれの思っていること、感じていることを受け止め合う事によって心の健康を向上させる事など、保養キャンプには目に見えない様々な利点があることを感じています。
しかしその一方で、それらの効果は目に見えにくいものです。
僕が幼少時代にもらったもののように、それらの価値を言葉で説明することは難しいと思っています。
また、キャンプ参加者のプライバシーを踏まえるとキャンプ中に起こった事を広めにくい事などもあり、世間一般には保養の現場の空気感や必要性は伝わりにくく、保養という言葉が風化してしまっているような気がしています。
それにともない、キャンプの運営費を捻出することが年々厳しくなっています。
今年の海旅campは8月13日〜17日の4泊5日で100万円ほどの経費がかかります。
この経費はスタッフの持ち出しとカンパでまかなっていますが、今年は7月末の時点で60万円ほどが不足しています。
私たちは、これから20年以上にわたって保養という取り組みの継続が必要ではないかと思っています。
そして、私たちのおこなっている試行錯誤がこれから長い年月をかけて放射能と向き合っていくための、小さくとも確かな実践の場になっていくと思っています。
今までは、自分たちの努力でなんとかしていこうと思ってきましたが、今は少し考え方が変わってきています。
ひとりの覚悟、ごく少数の人達の苦労によって事を成就させていくのではなく、皆で手を取り合って、少しずつ気持ちを持ち寄って支えあっていくこと。
その環を広げていくこと。
そのために「分かってもらえないかもしれない」という諦めを乗り越えて、自分たちが大切だと思うものについて、語り続けていくことを、していきたいと思います。
一人の父の覚悟、ではなく、皆で支え合うことで、この現状を乗り越えて行きたいと心から思います。
恥ずかしながら私たちは、今年のキャンプを実現するための運営費を賄う事もできないままに今に至っています。
そんな私たちですが、保養の現場を作りたいという気持ちは萎えることなく持ち続けています。
改めて、私たちの取り組みを支えてくれる方を求めています。
どうか、力を貸してください。
よろしくお願いします。
・海旅キャンプ支援金口座
ゆうちょ銀行(店名)ニ一八 普通 4818236 ウミタビキャンプ
郵便振替 記号12100 / 番号 48182361 ウミタビキャンプ